凡で良い

長いお休みをいただいている。休職というと仰々しい上に理由が適応障害ということで、あまり公にはしていないが、とにかく医師によるとそのような理由を持って正式に休みをもらっている。仕事を休むということはほぼ人生を休むことを意味するまでには社会人をやってきているらしく、休みかぁ。とぼんやりしたり、地元に帰ってみたり、都内の妹と過ごしたりと、「こんなんで回復するのだろうか」と疑いつつ3週間になった。当初は、1週間もすればまた戻れるだろうとなんの根拠もなくたかを括っていたが、案外厄介なものでずれ込んでいる。

 

その間何をしているかというと見事に何もしていない。野球を見て、気が向けば規則正しくやっている。仕事をしている間の時間がごっそり自由になったわけだが、収入があるわけでもないので派手に遊べるわけでもなく(そんな体力も気力もない)、処方された薬の副作用でぐったりする日もある。心というのは本当にあるのだなと思いつつ、医師がそう言ったものは全て自律神経だからいずれ良くなることがほとんどだよと呑気に言っていたのを思い出し、心などないのだ。と椅子に座り直した。

 

 

ただ「何もしない」というのは本当にすごいことで、混線していたケーブルを一本一本解く要領で自分の人生に必要なものが見えてくるのだ。別にすごいことではなく、ただ落ち着いて静観している。と言った感覚。

 

いくつかやりたいことがあり、札幌の旧友とそれらを話した。彼女も同じような悩みを抱えており、人生の節目節目にはそれぞれの山を乗り越えてきた戦友でもある。彼女が札幌で数少ない喫煙可能な店を紹介してくれたので、一つ一つ整理することができた。仕事や語学、恋愛、お金まわり、健康などのトピックを挙げ具体的にどのようになりたいかを整理している。まだ続いているが、分解することでどの段階で誰に助けを求めれば良いのかがわかるようになった。私は、大学時代に打ち込んでいた外国語の分野を諦めることがやはりできず、というかそんなことはしない方がいいので、また夢を目指すことにした。

 

ここ数年感じたことのない感情だった。長いこと遠回りをしたが、これで良い気もする。あともう1週間休もうかと思っている。一度階段をくだることや、立ち止まることは何も悪いことではなく、今後も定期的に必要に応じて行なっていこうと思う。

 

来年の今頃は札幌で仕事をしていると思う。

 

明日はデスク周りを朝方片付けて、制作を終わらせること。エージェントからの履歴書に目を通し、コンタクトをもう一度取ること、映画を一本観、文法のテキストを1冊終わらせることを行う。