心が休まる距離とか

日記は独立した日々を取りまとめるだけのものとして認識しているけれど、昨日の日記に幾つかの感想や心の内を開いてくれた言葉が届いて朝はそれを見返していた。親しい人たちや、見知らぬ人、懐かしい人から個別に感情を向けてもらい、話して少しは良かったのかなと落ち着いた。正直自分でネットの海に流しているとはいえ、随分暗い内容をかいてしまったな。と後悔はせずとも内省的な心持ちになっていたので助かった。小さい頃から本当のことを言う時には涙が止まらなくなる性質があり、本当じゃないことを本当っぽく言うのばかりが得意になっていたので、固有の感情を落ち着いて話せる様になれれば良いなと思った。

 

 

彼らにはお礼と相談事には答えになっているかわからないような返信をした。気休めになれば良いですが。と情けない言葉でフォローをしたら、気が休まると言うのはすごいことじゃないですか。と感謝をされた。確かに、気なんて休まらないよね。生きているとやるべきことが多すぎるから。少し喉の上側がつんとした。なんでも無い日に突然贈り物が届いた時と同じ嬉しさがある。

 

 

ホルモンバランスの周期により破壊的な睡魔。早起きはできるが、起きた後ほぼ寝ていた。日ハムは負けが立て込んでいる。こんなに短期間でこんなに併殺を喰らうか。と選手・コーチ陣のフラストレーションが画面越しにまで伝わってくる。塁には出れるし、首位球団に対して郡司は孤軍奮闘しているし、他の野手も決して全く歯が立たない訳ではないのに、打線が全くつながらない。1アウトで得点圏にランナーがいても帰塁できず、あれだけみんながぴょんぴょん踏み抜いたホームベースが遠く感じる。

 


投手陣もどうしたものかストライクが入らず、先頭打者を歩かせ、打たれたり、野手も野手でポジションが定まらないからか失策をしたりと同じ様なことを何度も何度も繰り返す苦しい試合が続いている。「あそこにあの球が飛んだら絶対エラーするな」と思って見ていると見事にエラーがつくので、もう素人にもわかるレベルで状態が良くない6月だった。楽天戦で追いつかれた試合からずっと何か調子が悪い気がしている。これは結果論ですが。とにかく選手たちにはとびきりの笑顔で思いっきり野球を楽しんでもらいたいだけなので、ファンはどんな君達でも応援しているから、早く元気になってね。(アンチが湧く前に)

 

解説の金村さんと実況の土井さんが、「勝ちたい気持ちが焦りに繋がっているのでは」といった見解を示していた。「一点がどうしても欲しいが故のミスですね」と言ったことも話しており、愛のある人々だなと感心をした。解説陣はファンの怒りの矛先がなぜか真っ先に向きがちで負け試合なんかが重なると、速攻でとばっちりを受けてしまう。そんな中あの様な発言を穏やかにしてくれるのは素敵なことだと思う。

 

 

物事の明るい面を渦中の人間が意識すると言うのは難しいけれど、案外周りは前向きに捉えてくれていることもあるよな。と全く関係ないことを思い浮かべ途中でまた寝てしまった。何か画面が騒がしいなと思って目を開けたら10点も取られていて流石に完全に目が覚めた。いくらなんでも派手に負けすぎ。負ける時はしっかり負ける。いいぞいいぞ。

 

 

 

 

序盤に書いた、気が休まらないという言葉がやけに気になり、気が休まるとは...。と天井を見ながら考えていたが、一人分の生活を持つと言うのが、気が休まることの第一条件ではないかなと言う暫定的な結論に辿り着いた。よく、「自分の人生にフォーカスする」といった言葉で表される状態。実態がある様でないような、よくわからないけれど、上部だけのモチベーションを無理やり引っ張り上げられるような言葉。それゆえ最近はあまり使っていないが。気を抜くと耳障りの良い表現のなんと多いことよ。と驚愕してしまう。

 

あれこれ大きな流れにめくじらを立てても仕方がないので、一人分の生活とは何かという話だ。言い換えると他人の生活を日常に入れないということ。それがどれだけ親しい相手や憧れの存在であっても私は適度な距離感で自分のペースで情報を取り込みたい。自分のためにやることがその他者の人生の一部になってしまうことで私は随分弱ってしまうことがあるからだ。

 

例えば、Aさんが「今日は〇〇さんと何時にどこで何をするよ、その後は△△さんに会って〜」の様な報告があったとする。私は、それらのスケジュールを1日の中でアラームの様に思い出す羽目になったりして自分の人生の時間に集中できなくなってしまう。そうなるともう2人分のタイムスケジュールとタスクを抱えたような気になり、気が散って仕方がない。

 

ゆっくり家で過ごしたいと明るい時間にお風呂に入っている最中にふと、今頃あの人は外で有意義な時間を過ごしているのかなんてことが浮かんだらもう優雅な時間は崩壊する。あぁ私はなんて怠惰な人間なのかと誰も何も言っていないのに最悪の気分になり、心を休ませる場所を他人に明け渡す羽目になる。私だけのお城は砂の城なので、すぐ陥落する。

 

この心の動きが起こるのは、私が自分の時間というものと他者と共有する時間というものに明確な線引きをしていることが大きな理由だ。関係性によっては「砂の城現象」(と今勝手に名付けたが)が起こらないこともある、学生時代の友人らとは休日に何をするよーとか全然共有するし、聞いたとて、日常で思い出すことはない。

 

何かがあるとやはりそれになるので、親密度が必ずしも影響している訳ではなさそう。SNSを見て見ず知らずの人間の生活に触れた時にも時々なるので、まだここは検討の余地がある。スマホからSNSを外してipadとデスクトップから見られる様にしようかと思っている。

 

いずれにしても心を休めるためには、他人と適切な距離を取ることが必要。こういう対処を実行することに対して相談を受けることが時々あるが、決して、「自分がない」ということではなく、むしろ自分を守るための賢い選択なので積極的に変わっていったらいいと思う。目の前の出来事に対してちゃんと立ち止まって、どう動くかを自分で考えて決めること、繰り返して素敵な大人になると信じている。他人からの影響を受けずに自分を貫くことがかっこいいことの様に思われているけれど、あくまでそれは結果であって、そこを目的にしちゃうと苦しいよね。

 

この選択をしたら〇〇はどう思うだろうかとか全然気になる。友人らに話すとみんな口を揃えて「まさかあなたが?そんな訳ないじゃん!!!」と言うが、そう見えない様にしているし、そういう状態の自分は好きじゃないので結局頑張って好きなことを選んでいるだけ。脳内はいつでも葛藤しまくっている。誰も完璧じゃない。

 

もう強くて自分を持っている(様に見える)自分を演じることに魅力を感じなくなった。そう言う自分を素敵だと思ってくれるのは嬉しいけれど、私はまだ私のままで成長したい。自分らしさは自分で決める。