2023/12/11

起床後の鬱々とした感情が治らないのでどうにかしたいと思っている。確かに仕事は大変だし、物事を膨らませて考えてしまう癖はあるものの、流石にそういうことではない。ちゃんと不調。低血圧を疑ってかかり、何度か看護師に尋ねたりもした。20代の女性という枠組みの中だと数値としては低いが正常の範囲内でありそれによって何かが引き起こされるとは考えにくいというようなことをいろいろな言葉で優しく伝えられて終わる。4回ともそうだった。

 

何か納得のいかないことが身に起こった時にそれらしき理由を探し安心したいのと、対処をしたいので気が滅入っている。ただえさえ滅入っている気をもっと下げてどうするつもりだ。

 

妹が私の疲労を察してか、疲れている状況のことを「ウインターブルーじゃない?」と心配していた。私は妹のそういう部分がとても好きなのと、ウインターブルーという表現があるということ、冬季鬱の別の呼び名だということ、なんだか少しだけ美しいようなものを連想させるものであることが心地よかった。

 

思い返すと3年前、つまり北海道で暮らしていた時には11月の半ばくらいから日照時間が激減するので、ほぼ毎年これになっていたことが考えられる。本州の冬は明るいかと思ったけれど、曇りが多いのは変わらずで、寒いか寒くないかといった具合。それに、寒いものは寒いのだ。だから、正直なところ何かが大きく変化したわけではないのかもしれないなと今更納得したりした。

 

職場に行くと元気になる。心を開くことができる人のいる場所というのは本当に貴重だと毎回思う。仕事は大変だけど。本当に大変。

 

嵐のように業務をこなし、帰宅。上司の一人が以前、感情を介さないで仕事ができるようになるとずいぶん楽になると話していたのを毎日のように考えている。見よう見まねで取り組んでみたが案外うまく行く気配を感じ、帰宅後も継続して行動してみた。ありとあらゆることに感情を動かしていたのだなと関心する一方で、そこまで感情を傾ける必要がそもそもあったのかと考え直した。本来感情を裂く必要がない場所で感情を注いでいるから面倒となってしまうのかもしれない。映画や音楽を聴いた時、本を読んでいるときに面倒とは思わないが、感情はかなり動いているから。それは感情を動かすべき場所なのだろう。

 

そんなこんなで、帰宅後即、軽い運動をし姿勢の矯正のために身体の位置を有るべき場所に戻す。身長が少し伸びるのが奇妙。普段が曲がっているだけ。

 

身体を動かした後だと、食欲が正常値になることがわかった。疲労と負荷としてのストレスで自傷的に食事をとっている時期が長かったので、「一旦待ってみる」のコマンドが暮らしにできたのが嬉しい。玄米に雑穀と蒟蒻を混ぜたダークマター飯とレタス、根菜。菜食が1週間を迎えようとするタイミングで、タンパク質があまりにも足りないのを危惧しとりあえず豆腐とプロテイン

 

残り30分程度を残して、宿題にしていた「死刑にいたる病」を観る。邦画を数えるほどしか見たことがないが、あの画面全体が青みがかった色補正というのは何かの流行りなのか、数少ない邦画の記憶の中でも大体共通しているトーンなので、なんなのだろうと思った。シリアスさを出したいのか、日本の街並みや植生、あるいは人種的な部分でその色味が何かしら良い相性とされているのかもしれない。気のせいかも。ストーリーはよくわからなかった。キャラクターによってそれぞれの人物の呼び名が変わるタイプの作品はやはり苦手。そこまでいろんな呼び名で使うくらいならもう少し画面に登場させてくれよと思った。

 

残虐シーンが話題だったが、ああいうシーンを作る人々は同じように残虐な状況をリファレンスとして見ることがあるのだろうか。スナッフフィルムの類は今の方が多くみることができるのかも知れないけれど、技術の発達でどれが本物かわからない。その技術も元を辿れば本物がベースになっているから、なんであれ人を殺すのは良くないしその映像を撮影して拡散するのももってのほかである。国内外のその手のサイトはどうして凄惨な現場とエロ動画が交互に投稿されているのかあまりにも気になって友人と話したことがあるが、PCが訳のわからんマルウェアに感染しそうだからそういうサイトを見るのはやめようという結論になりそれ以降こうした疑問を解消できないでいる。どのルートを辿って議論をしたとしてもタブーは人の興味をひくということに帰結しそうだから解消される必要は今のところない。

 

今日から早めに就寝をし早起きをして、朝の憂鬱をどうにかしてやろうと画策している。暮らしは際限なくよくなるものだと、信じきっていることが時々不思議なことのように思う。これはきっと才能なのだろう。何もかもが今よりマシになると本気で信じている。