物が多過ぎる。焦っているいつも。

休暇である。会社員を辞めるつもりがないのはこの休みが確約されている生活が意外と心地よいからかもしれないなどと考えていた。今月は諸々の支払いを巻で終えることにした。いつもぎりぎりまで放置し、その間に他の買い物をすると言う意味のわからんことをしていたため、いい加減ちゃんとしなければ。

 

毎月4万程度貯蓄をすれば特に問題なく移住等が行えそうなのと、生活水準を下げることになるので、その調整期間としてどうにかやろうとしている。来年は今より田舎に行くので所得が減ると思っているし、今みたいな派手な暮らしはしなくなる。出費も減るから変わらなさそうだけれども。

 

とはいえ、長めの休暇なので、生活を見直すことにした。持病というか特性に生活の主導権を握られるとあっという間に物に溢れてしまい、大変なことになっている。時間が余れば外に出かけて必要のないものを買ったり結局食べない何かを買って腐らせることを頻繁にする。あまりにもおかしいので、医者に相談したところ、精神的な疾患の症状と酷似しているというようなことを言われた。ずっとその性質は持っているので特段驚きもしなかった。むしろ対処の方法をそれ前提で考えられるようになるので良いことだと思った。なんでも病のせいにするなという意見はごもっともだが、これについては当事者にしかわからないことだし、例え同じカテゴリの中に属していたとしても隣の席の人間が同じ苦痛を味わっているとは言い切れない。想像しきれないことを切り捨ててはいけない。

 

対処法をそれなりに考えた。まず同じ性質を持っていない一番身近な存在として妹がいるわけだが、彼女はアイドルのオタクをしているのでほぼそれにしか出費をしない。そのためものを買うということにあまり関心がなく、さらに金を使うこと自体にも関心がない。どうやって休みを過ごしているのかと聞くと、「昼まで寝てYoutubeを見ている。ねーねー(私のこと)は、ずっと外に出ている。」と言っていた。私は休みの度に何かをしなければいけない、生産的なことをしなければならないとノイローゼ気味に動く。明らかに多動である。

 

1日のうちで発作的に起きた感情によって生まれるものなどたかが知れているが、なまじ何かを成す快楽を知っているためそれと同等の快楽が得られる買い物だったり浪費を行う。何かを支払えば同等の何かが得られると思ってしまうのだ。そんなことはない。買い物をして得たものを使ったり消費したりして、初めて本質的に何かを「得る」はずなのに私は本当に気が狂っているのか、買ってそのまま一度も読まない本や開けていない化粧品の箱が部屋の床に転がっていたりする。

 

改めて言葉にするとかなりとんでもない状況だし、めちゃくちゃだ。

 

今日は、部屋の椅子にちゃんと座し、1時間くらい落ち着いて本を開いて時間が過ぎるのを耐えたり、考えが四方八方に飛んでいってしまうのを目を瞑ってやり過ごしたりしている。私は私にもうすでに十分過ぎるものを物質的にもその他の部分でも持っているということをわかってもらわないといけない。こうやって瞑想って効果があるぞって話になったんだろうなと思いつつ瞑想ができていたら最初からこんなことになっていないだろ馬鹿野郎などと悪態をついている。そういえば今日は何も食べていない。

 

毎日毎日私はすごく焦って生きている。何かを集中して行うことができず手をつけた側から別のことを終えることを考えている。これは特性なのか一時的に何かの症状で出てきてしまっているのかわからないけれど、頭がおかしくなりそう。

 

けれど、本を読んだり詩を書いているとき、好きな人と一緒にいるときは落ち着いている気がする。もっと1日を適切な質量で扱えるようになりたい。苦しいけれど、すぐ近くに幸せがあるのも感じる。あとは私がそっちに行くか行かないかだと思う。