特別なことは何もない。それでも明日は保証されていない。

昨晩は大先生のスマホが大破したとのことで、データバックアップやらSNSの移行準備やらに追われた。普段使っている画面が使いづらくなるというのは大変に厄介なことで、普段からあまり電子機器に関心のない大先生にストレスをかけすぎていないかだけが心配だったが、無事幾つかのセキュリテイ的なトラブルを乗り越え操作は完了した。お互いができることをたとえどんなに小さいことだとしても、わけ合えたのが嬉しかった。事が済んだのもそうだけれども。いつも私は大先生に助けてもらう事が多くおんぶに抱っこの部分があるのでこうして、彼が苦手なことを自分の能力や興味関心によってサポートできるのは誇らしい気持ちになる。誰かの役に立ちたいとは微塵も思わないがこうして自己肯定感というのは培われていくのかもしれない。

 

お互いがいることで「できないと思っていた」事が「できるかもしれない」事になるのが私はとても幸せだと思う。事の大きさは関係なく、電話をしながら散歩をしていたらいつもより長いこと歩けたとかで十分。

 

そんなこんなで日は明け、水曜から会社に戻ることになったので最後の休暇をゆっくり過ごした。昨日に引き続き本や論文が読まれ、私はこれが好きだということを噛み締めた一日だった。

 

PMDDPMSが嫌な気配を醸し出していたので、先にいつもより多く食事をしてみようかと、サイゼリヤで肉を食べたが、恐ろしいことに全く美味しくなかった。サイゼリヤの名誉を毀損しないために正しくいうと、私の味覚が美味しいと感じなくなってしまっていた。絶句ものである。サイゼリヤなど何を頼んでも美味しく安くお腹いっぱいにしてくれるファミレス日本代表だったのに、悪いのは私です。。。といった気持ちで落ち込んだ(PMDD)

 

その後強烈な眠気に襲われ気絶するように寝。

 

夕方起き、読み終えた本2冊と読まないであろう本1冊を返す代わりに、昨日より触れているスラブ文化圏の歴史に関する書籍と、川上未映子フェアを実施するために本を借りたかった。図書館へ赴き予定通り遂行された。

 

道中で大先生から画面の半分が使えなくなりましたと連絡がありじゃあ今これはどうやって打っているんだ。と疑問に思ったが、今複雑なコミュニケーションはできないであろうと判断したため聞かず、コミュニケーションはテキストから電話に切り替わった。それから結局3時間くらい電話をし、互いに夕飯を食べ酒を飲み今である。黙々と鯛を調理する音を聞きながら私はひたすら川上未映子の話と世界宗教の話をした。

 

生活の延長に人がいる事の面白さよ。特別なことは何もなく、それでも続く関係性を特別と呼ばずになんと呼ぼうか。明日また話せる保証はどこにもないのだ、今日も健やかに大先生が盛大に寝落ちしてくれたことを嬉しく思う。