明日は書かれない暮らしがやってくるのだ。

2日連続で日記です。

明日は書かないかもしれないが、書かれない暮らしも平等に愛していきたい。

今日はモーニングギリギリにコメダに駆け込んだ。ここ数日は実験的にスマホを持たず外に出ている。特にきっかけなどはなかったけれど、なんとなく自分の行動が制限されている気がして煩わしくなった。この板の中に結構な数の人間関係が内蔵されているのよのと思うと眩暈を催すほどだ。それは大袈裟な例えだけれども私は人間関係にやや疲れていたので、こう言った試みもセルフケアには需要だろうと言った感じ。

 

11時を過ぎていたので普通にアイスコーヒーを頼もうとしたら、「モーニングまだ行けますよー」と言われ、朝ご飯を食べていなかったので、「そうですか」とそれにしてもらった。POSレジを使っているようだけれど、時間で管理されているわけではないのだなと気になった。POSレジとはPOSシステムと呼ばれる基幹システムによってある程度管理されているレジのことでいわゆるチェーン展開をしている店舗にはほとんど必ずと言っていいほど導入されているレジ。(POSとは販売情報管理、Point Of Saleの頭文字をとったもの)キャンペーンやタイムセールなどでイレギュラーな金額になっていてもほぼ自動的に金額変更が一括管理されていたり、顧客情報と紐づいているのでポイントなどをすぐに呼び出すことができるなど。在庫管理に使われることもある。

 

ふーんと思いながら本を2冊読み、タバコを吸う。自分の席で吸えない場合でも喫煙可能店舗というものが一定数あり、コメダ珈琲も導入店舗がいくつかあるそう。そこでは、喫煙室という大小様々な箱が店内にぼこんと設置されており、紙巻きが使えたり、使えなかったりする。昨今のというのも野暮な禁煙ムードに辟易する喫煙者も多いが私は、すでに禁煙ムードの中それでも吸い始めた人間なので、駅のホームやあろうことかバスの座席でも吸えていたなんて昭和の話を聞くと気を失いそうになる。喫煙者だが流石にそれは嫌だからだ。共有されない「あの頃」の話だってあるのかという面白さよ。あと私は喫煙所に入ると突然全員何か悪いことを一緒にやっている共犯者のような謎の連帯感というかもはや一種のグルーヴみたいなものを見るのが面白くて喫煙所に行く部分もある。喫煙所でしかできない会話がありそうと思いがちだが、そこでしかできない会話など最初からしない方が良いのでは?と訝しんだり、大体は与太話なのでそういうことを喫茶店に行くような関係性の相手とできるのはやっぱり素敵なことだなと思ったりもする。飲み屋の席にも、喫茶店にも、バス停にもそれぞれにふさわしい会話があるのだろう。

 

僕のマリ氏の『常識のない喫茶店』の後半と川上未映子氏の『人生が用意するもの』の後半を読み、モーニングで居座るのに許されそうな時間で切り上げ(主観すぎる)た。
外に出ると意思を持って人を倒そうとしているだろうと思うくらいの暑さで死ぬかと思った。本当に身体がおかしくなる様を黙って感じる。いつか陽が出ていない時間しか外に出られないみたいなことが起こるかもしれないと、朦朧とした頭で雑なSFを作ったりもした。そうなると明け方に対する概念とかも変わるんだろうな。今は夜明けというものがポジティブな性質を持つものになっているが、仮に日中でたらダメになったら、そうもいかないだろう。意識としての言葉と道具としての言葉という絶対的な事実のアンビバレントさよ。暑さで脳のスケールがおかしくなっている。まだ6月なんだけど!