2023/10/22

今日本当は人生において割と大きな予定があったのだけれど、諸事情によりリスケ。それなりにパブリックになっている場所(つまりはここのことですが)でいくつか伏せておかなければいけない事象が人生にあることが少しだけ嫌だな。

 

そんなこんなで、予定は変わりに変わり、午後から築地本願寺に行くため早めに銀座あたりに移動。銀座と言ってもリュクスさのある行動をするわけではなく、いつも通り本屋を徘徊する。銀座駅に入った瞬間毎回自分の認知能力が圧縮される。柱は黒に謎のネオン系のグリーンがドットでグラデーションのようになっており床はその延長で真っ黒。キムポッシブルのシーゴーを思い出す。銀座駅から出てノンストップでGINZASIXへ。というか蔦屋書店へ。私が書店の話題を出すときにほぼディスだろと思われるテンションで、揶揄をすることでお馴染みGINZASIXの蔦屋書店。おしゃれすぎて本が何も見つけられないのだ。これは、目当ての本に辿り着けないという意味ではなく、本が目にちゃんと情報や存在として入ってくるまでに若干のラグがあるということ。そのほかのコンテンツが多すぎるのかもしれない。

 

とはいえ、それなりの回数きているので何だかんだ気に入っているし、いい加減慣れてきた。ので海外雑誌の棚をうろちょろし、グラフィックや写真に関する棚をさらにうろちょろした。大学時代に見つけた写真集に偶然再会し卒倒しかける。いくつかの作品の情景と紫に細かなラメの粒子を散りばめたような掠れた表紙の奥にうっすら虹がかかっているような写真が表紙になっていたことだけをずっと忘れてはいけないものとして、記憶していたので、背表紙を見ただけでそれが何かは一瞬でわかった。記憶の棚は消して時系列で整頓されているわけではないことをこのときに知った。それらに関する記憶は棚のかなり手前に収納されていたようだった。Olivia Beeは当時22歳でこの写真集をリリースしたそう。色彩やモチーフとして撮られる彼女の友人のような人々。いわゆる「ミレニアル世代」の代名詞と勝手にあてがわれてしまった架空のノスタルジーみたいなものを、丁寧に表現している。

 

私は自分の形がなんなのかわかっていない人たちだけが持つ、ある種の無遠慮さや、形を持つ人々からすると一見自暴自棄や自傷のように見られてしまう危うさが実は彼らにとってはただの興味関心の発露でしかないというような現象がとても好きなのだ。いい年をした大人が自分のささくれを、肉が見えてしまうくらいまで引っ張っているところ(大抵その時は虚な目でどこか遠くを見ていたりする)や小さな子供が大怪我をしているのに、普通に座っている状態を見るたびに、社会的な人間から脱走している人たちだと目が離せなくなる。一方でリストカットや、太ももを切る行為(こちらにもきっと正しい俗称があるはず)正しい俗称ってなんだよ。はあまりにも社会的な生き物すぎて悍ましく思ってしまう。

 

そんなような、私が目が離せなくなるような瞬間をとても綺麗に残している一冊なので、それはそれは嬉しかった。

 

だがそれは買われなかった。持つ必要はないと判断されたようで、いくつかの海外のインディペンデント系の雑誌がいくつか買われた。冊子をあまりに買いすぎている。

 

もう1300字くらい書いてしまったのでそのほかの出来事は大切に胸にしまっておくことにする。

 

友達はとても大切。私が昔「ユニコーンの馬刺しってどんな味がするんだろう」ととんでもないことをネットに垂れ流したことをずっと覚えてくれていた最高な友人にまた会う日まで日々を頑張っていこうと思う。