2023/12/09

日記の書き方を結構忘れている。書かない間に何か大きなことがあった訳ではなかった。気力と体力と時間を上手く分配できずにいた。自転車操業の生活で、もう無理です〜と言いながら色々なことが舞い込んできた。全て喜ばしいことなのに、身体も心も追いつかず、止まったら死ぬみたいな状況が続いている。

 

なんとかしたいし、しなければ。最終的にやりたいと思っているところに辿り着く前に色んなことが上手く回らなくなる。それらの多くはこの段階でも分かり切っている事なのでちゃんと休むことにした。


ものすごく怖いけれど、自己管理というのは常に動ける自分でいるために必要なこと。


先週東京に行く用事があり、なっちゃんに会った。なっちゃんは菜食を日常で実行している。そのことを知っていたので夜に会う時にはヴィーガンのお店に連れて行ってもらった。私は環境保全や動物愛護の視点で菜食をすることに対して、知識が足らず理解ができないため、なっちゃんになぜ菜食をしているのかをいくつか聞いた。なっちゃんはいつでも親切でチャーミングだ。聞いた上でまだ自分には勉強が必要だと思ったけれど、人体実験としてなら私もやってみることができるかもしれないと、素人なりに日々調べながら菜食を始めている。私の場合は、ベジタリアンでもヴィーガンでもなく、フレキシタリアンと呼ばれる、フレキシブルな食生活をする人間に分類されるらしい。名前がつくと途端になんだか立派なものに見えるけれど、平たくいうとほぼ野菜を食べて生活する健康的な人という具合。なので、もちろん人と食事をする時には肉も乳製品も摂るし、いただきものはありがたく頂く。

もう一つ気になっているのはミサに行くということ。まなさんとそのお子たちと一緒に久我山の教会に行った。宗教の領域もやっていた教授の下で大学時代を過ごしたというのに私は宗教施設に接触したことがなかった。それが心残りだったので関心があった。(当時はコロナウイルスのあれこれでそもそもフィールドワークもできなかったから仕方がないといえばそうなのだけれど)まなさんによると教会の牧師や神父によってスタイルは多種多様らしく、函館の神父さんの説法がめちゃくちゃ面白かったと笑いながら熱弁してくれた。どうやらエンタメ要素もあるらしい。静岡に帰ってきて、いくつか家の近所に教会があることがわかったので、クリスマス時期で忙しいかと思うが新規で参戦してみようかと思っている。

 

まなさんとは不思議な縁で知り合ってからもう5年くらいの仲になっている。なっちゃんと遊びあずささんとも再会を果たし、終電でまなさんの家に帰ってきたら知らない人が2人急に登場した。昼に一度来た時にはいなかった人たちだったので、かなり驚いたが、同居人とその友人とのこと。まなさんは私に全て説明していたつもりだったらしく、私一人がはちゃめちゃに驚き、まなさんは死ぬほど笑っていた。何があっても私たちは爆笑するので愉快でいいなと思う。

 

お互い知り合ってから相当大変なことが結構な頻度で起こってきているが、大抵どちらかが妙なことを言ったりしたりするので、何も解決はしないけれど、なんかどうにかなってしまう。というか元々どうにかできてしまう馬力が私もまなさんもかなりあるんだろうなという感じ。我々はたまったもんじゃないんだけどね。そういう関係性の人が人生で数人いる。数人もいる。恐ろしい。私の周りの友人は人生で変なことが起こりがちだけれど、もしかしたら、どんな人でもとんでもないことは起こっているのかもしれない。それを共有しあえることを嬉しく思う。いつも私に話してくれてありがとうと思って生きている。

 

素直であることや世界に対して開かれてた自分であることというのは、自分の中の価値観で一番大切にしているし、その機会を与えてもらえる環境にとても感謝してる。まだまだバランスを崩して転ぶどころか転がりながら内心大泣きして「もうやめたい!!!やめたいというのは全部のことです!!!」と思いながら毎日生きているけれど、転がって座り込んだ先にいつもの親しい人たちが笑って見守ってくれるから、まだまだ好き勝手やっていいんだと思う。自分がいることで関わる人がほんの少しでもいいから、なんかいいじゃんって思ってもらえたらそれでいい。

 

なんだかめちゃくちゃ疲れてしまって、書いているうちにぽろぽろ泣いてしまっているけど、やっぱり面白いな〜って結論に達する。好きじゃなかったらとっくに辞めてるし、悩むってことはそれだけどうにかしたいということだから、今は、いつだってそうだけど頑張りどき。

 

日記、好きなことを調べてそれらをひたすらまとめるノートみたいにできたらいいなぁ。

2023/10/29

宣言通り家のことをわらわらとこなす。どんなに楽しくても身体は疲労するので、あともう少しできそうだなぁと思ったところで打ち止めにした。この選択が翌日の明暗を分ける。

 

生活のことをやっていると、小さな不便の積み重なりを放っておくのはあまり良くないのだなと毎回納得する。たとえば、家の家具の配置の動線が何も持っていない時だと直通で通れるけれど、バックパックを担いだ時には激突するなとか、洗濯物を干す位置が若干室内の奥だと、それが面倒で洗濯が家事の中で後回しになりがちだなとか。

できるだけストレスなく暮らすと言うのが目下の目標になり始めている。定期的に床に服が散乱するので帰宅後発狂しそうになる。全部あんたがやってんのよ。

 

根が大変に怠惰なので、脳内に怠惰フロアという最悪の部屋がある。怠惰フロアは各フロアから抜群のアクセスを誇っているので気を抜くと強制送還される。ここに入ってしまうと家事をほったらかしにしているのに、昼から酒を飲んだり、夕方まで寝腐ったりしてしまう。基本的に短いプロセスで得られる快楽というのは危険。もちろん杓子定規に生きろというわけではなく、プライベートでもある程度の規律があるとより楽しいというだけの話。

 

それに従い、スーパーにちゃんといき朝昼晩の食事を拵える準備をした。仕事の日はあまり工程の多い食事は好まれないので、できることなら食事内容の大枠は固定したいと思っている。選択に対してあまり頭を使いたくない。シリコンバレーのエンジニアみたいなことを言っているが彼らの理論はかなり気に入っている。他者から見られてどうかの前に自分の利便性をちゃんと考えられる姿勢は見習いたい。限られたバリエーションであってもそれらが洗練されていれば、かえって没個性的なものから逃れられる気もしている。ゴールはオリジナリティではないけれども。

 

久しぶりに黙々と歩く時間があったので、少し前によく聞いていPodcast番組を流した。最近はこれといって聴きたいと思って選ばれる音楽はないが、無音で歩くと、色んな思考が頭の中を滅茶苦茶にするのが嫌すぎて、強制的に何らかの音声で遮断している。代官山蔦屋書店のPodcastがかなり楽しいので、気になっていた書籍の回をいくつか聞いた。案の定欲しくなり、それらの本を買うために今ある読まれるべき本をリストアップすることにした。当初は違う目的だったが、リストを作るというところでは満たされているのでよし。

 

10/30-11/5までに読む予定の本たち

『かなわない』植本一子

『三人の日記 集合、解散!』植本一子 ・金川晋吾 ・滝口悠生

才能をひらく編集工学 世界の見方を変える10の思考法』安藤昭子

 

週に3冊、うち一冊は難解だという話しか聞かない本なので、友人に「無理ゲーすぎるだろ」と言われた。これはゲームではなく、戦いなのよ。と言い放つと爆笑された。私だけがいつも真剣で面白い。

 

パスタを作ったら塩辛かった。工程通りに作ったはずが、意味のわからない風味が塩気と一緒になって味の奥にいるのを観測し、一人で絶句した。これだから生活は愉快。

2023/10/28

友達は最高!

私も目の前のことをめちゃくちゃやっていくと言う気持ち。キラキラしている。

ずっとこうしたかった。こう言う日が訪れてくれたことがとても嬉しいし、今日みたいな日のために明日をやっていこうと思う。全ていい方向に行くために選び取りたい。嬉しくて、寝なくちゃいけないけれど本を開いたり、映画を流したりしている。自分が嬉しい気持ちでいると、自分が望むことを選ぶことができる。それでもっと嬉しくなる。シンプルでいい。

 

明日はいらない服を処分して部屋中をきれいにする。そうして毎日を前に進めていく。

2023/10/27

怒涛の1週間が無事終わった。(力ずくで)何か大きな催し物があったといえばあった気もするがそれにしても、生活の崩壊具合が尋常じゃなく、帰宅・気絶・出社みたいな勢いで暮らしてしまった。

 

食生活が大変なことになったのが敗因な気もする。良くないことを考えても意味はない。

それにしても部屋の空気があまりにも澱んでいる、諸悪の根源は絶対にそのせい。改善できる範囲に原因があってよかった。仕事終わりにお兄の店へ行き長話をする。お兄と言っても血縁関係は一ミリもない。というか前職の上司であるため兄呼ばわりしているのはかなりおかしいが、兄のいない自分にとってはそのような位置づけが空いていたのでよしとしている。

 

今までいろんな人に会ってきたが、お兄ほどセンスというかなんというか、言語化が難しいのだけれど、自分の力でスタイルを選び取っている人に会ったことがない。自然発生的に持つセンスと、彼が選び取った(そうせざるを得なかったと言っていたけれど)ものに嘘がない。〇〇さんっぽいよね、がない人。全部がお兄の持つ雰囲気に収束しているように感じるのは、彼が本物についてずっと考えてきたからなのかもしれないなと思う。とても尊敬しているし、お兄に認めてもらえたらそれは本当にいいことだと思っている。絶大な信頼をおける人に出会えたのはかなりラッキーだった。

 

とはいえこんなことを本人の前で言うと真顔で無視をされる気がして仕方ないし、私もこんなこというのは照れくさいというか癪なので、私は私のスタイルを貫いていこうと思う。弱気になった時に、まぁお兄は絶対良いあるいはダメだとって言ってくれるだろうなと考えることができるので、それだけでかなり救われている。店に行くと毎回何かしらの呪詛を唱えているのが面白くて仕方がない。(本人はいたって本気で腹を立てているのでなおのこと)人生や暮らしを真剣に必死にやっている人が近くにいることで過去の自分が救われている気がしている。

 

 

人から声をかけられて何かをやる、ということがかなり増えてきた。一方で自分は、何かをやってやろう・これができますといった明確な何かを持っているわけではないし、プロフェッショナルなことは一つもないので、毎回不思議な気持ちになる。もちろん彼らも私にそう言ったクオリティなどを求めているわけではないことは重々承知の上だけれどやはり、どうして私なのだろうとふとした時、たとえば打ち合わせの帰り道なんかに考え込んでしまう。ネガティブでもポジティブでもなく、ずっと誰かと何かをしたくて生きてきただけだったのでそれらが急に目の前に現れたことに理解が追いついていないのだ。

私はずっと変わっていないから。

 

家のことをやらないといけない。部屋を片付けて洗濯を何度も回して食器を整えて朗らかに生きるための準備をしないと。作りたいプロダクトも、観たい映画も、聴きたい音楽も、読みたい本も、学ばなければならないことも山ほどある。楽しいことを想像してそのための道を黙々と歩けば良い場所に行けるし、道中でも良いものに出会える。本当に本当に明日死ぬんじゃないかと思うくらい疲れることもあるけれど、なんだかんだかなり充実してしまっている。

 

気を抜くと、適当に暮らしてしまうので、週のうちに読むべき本、観るべき映画をリストアップして、ひとつづつやって行こう。

 

友人らはどうしてそこまで、と心配するけれど、根があまりにも怠惰なのでこれくらいしないと普通の人の暮らしができないのだ。大袈裟じゃなくて、これしかできないからこれをやっているだけ。大勢の人と同じようにできないから、人と違う状態になっているだけ。誰だってそうでしょう?とりあえず明日は散歩に行って何から片付けようか考えよっと。

2023/10/26

意地でも毎日何か書くことにしている。企画書や社内連絡ツール以外で。書きたいことがあっても言葉が出てこないレベルまで急に疲労がきてしまう。3日連続で疲労のことしか言っていないのうんざりする。

 

不健康すぎる。とはいえ心は何故か元気なので、やれてしまっている。これは今までなかった分岐なのでやや警戒している。タフネスを履き違えてはいけない。全然チャーミングじゃない。とはいえ、年明け会社で試験を受けなければならないのでお勉強チャンスが到来したのでとてもありがたがっている。今の自分はだいぶ中身がすっからかんになってきているので、土日は家にこもってやりたい放題やってやろうと思う。

 

本を読ませてください。。。

2023/10/25

帰宅したら10時でびっくりした。りっくんと打ち合わせが11時からあったのだが体力も気力も例によって厳しい。こういう時、一人だとリスケするのだが、人がいるとそうもいかない。人がいてくれることで自分との約束を果たしている。最近はそう。自分との約束を果たすことが自己肯定感を育むと思っているので、こうしてどうにかやらせてくれる人がいるというのは心強い。

 

話し始めるとやっぱり楽しくて、疲れているのだけれど楽しかった。小さい頃に見ていた海外のアニメをいくつかネットで探し出し落ち着く。小さい頃の記憶に接触する時だけ休ませることができる部分がある。話すために、書くために、もっと言葉を吸収したいのに本や論文を読む時間がなくもどかしい。

 

元気でいたい。

2023/10/24

仕事仕事。脳の疲労と身体的な疲労がイコールになってしまったのを観測。週5で働いて、残り2日も動くと回復する時間がない。なんとなく限界値がそこらへんでうろうろしている。達したから何とか、達するまで動いてしまったとかそういう大袈裟な感情はなく、そんな感じね。と妙に冷静になっている。対処のカードをいくつか持つということが大人になることの一つなのかもしれない。

 

定期検診でお医者に心配をされるたびに、あんたが心配してどうするんだよ。と面白くなる。治してくれと思っていたが、治すのは私の仕事なので、そりゃそうかと血を抜かれたり何か透明な身体にいいとされるものを投与されながら納得する。またなんかあったらきてくださいといいながらお医者は金曜日の午後に来院する予定を入れていた。やっぱりなんなんだこの人。と思いながら帰宅。