2023/10/23

突然の社会生活。月曜はこの東京滞在の本来の目的である会社の全大会があった。まさか生きているうちに六本木のど真ん中で給与が発生するとは思ってもいなかった。弊社は働いている人の性格がとても良いのだなと改めて感心した。いい場所にいることはとても大切だ。

2023/10/22

今日本当は人生において割と大きな予定があったのだけれど、諸事情によりリスケ。それなりにパブリックになっている場所(つまりはここのことですが)でいくつか伏せておかなければいけない事象が人生にあることが少しだけ嫌だな。

 

そんなこんなで、予定は変わりに変わり、午後から築地本願寺に行くため早めに銀座あたりに移動。銀座と言ってもリュクスさのある行動をするわけではなく、いつも通り本屋を徘徊する。銀座駅に入った瞬間毎回自分の認知能力が圧縮される。柱は黒に謎のネオン系のグリーンがドットでグラデーションのようになっており床はその延長で真っ黒。キムポッシブルのシーゴーを思い出す。銀座駅から出てノンストップでGINZASIXへ。というか蔦屋書店へ。私が書店の話題を出すときにほぼディスだろと思われるテンションで、揶揄をすることでお馴染みGINZASIXの蔦屋書店。おしゃれすぎて本が何も見つけられないのだ。これは、目当ての本に辿り着けないという意味ではなく、本が目にちゃんと情報や存在として入ってくるまでに若干のラグがあるということ。そのほかのコンテンツが多すぎるのかもしれない。

 

とはいえ、それなりの回数きているので何だかんだ気に入っているし、いい加減慣れてきた。ので海外雑誌の棚をうろちょろし、グラフィックや写真に関する棚をさらにうろちょろした。大学時代に見つけた写真集に偶然再会し卒倒しかける。いくつかの作品の情景と紫に細かなラメの粒子を散りばめたような掠れた表紙の奥にうっすら虹がかかっているような写真が表紙になっていたことだけをずっと忘れてはいけないものとして、記憶していたので、背表紙を見ただけでそれが何かは一瞬でわかった。記憶の棚は消して時系列で整頓されているわけではないことをこのときに知った。それらに関する記憶は棚のかなり手前に収納されていたようだった。Olivia Beeは当時22歳でこの写真集をリリースしたそう。色彩やモチーフとして撮られる彼女の友人のような人々。いわゆる「ミレニアル世代」の代名詞と勝手にあてがわれてしまった架空のノスタルジーみたいなものを、丁寧に表現している。

 

私は自分の形がなんなのかわかっていない人たちだけが持つ、ある種の無遠慮さや、形を持つ人々からすると一見自暴自棄や自傷のように見られてしまう危うさが実は彼らにとってはただの興味関心の発露でしかないというような現象がとても好きなのだ。いい年をした大人が自分のささくれを、肉が見えてしまうくらいまで引っ張っているところ(大抵その時は虚な目でどこか遠くを見ていたりする)や小さな子供が大怪我をしているのに、普通に座っている状態を見るたびに、社会的な人間から脱走している人たちだと目が離せなくなる。一方でリストカットや、太ももを切る行為(こちらにもきっと正しい俗称があるはず)正しい俗称ってなんだよ。はあまりにも社会的な生き物すぎて悍ましく思ってしまう。

 

そんなような、私が目が離せなくなるような瞬間をとても綺麗に残している一冊なので、それはそれは嬉しかった。

 

だがそれは買われなかった。持つ必要はないと判断されたようで、いくつかの海外のインディペンデント系の雑誌がいくつか買われた。冊子をあまりに買いすぎている。

 

もう1300字くらい書いてしまったのでそのほかの出来事は大切に胸にしまっておくことにする。

 

友達はとても大切。私が昔「ユニコーンの馬刺しってどんな味がするんだろう」ととんでもないことをネットに垂れ流したことをずっと覚えてくれていた最高な友人にまた会う日まで日々を頑張っていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

2023/10/21

東京。朝からバタバタと出発し下北沢。久しぶりにボーナストラックに行く。街の構造の中にテナントが存在しているので常に人が交差する。そのことを毎回特別なことのように思うけれど、この世に存在しているありとあらゆるテナント/テナントでないものもそのようになっているので、ボーナストラックが特別なのはエリアとして存在している。という部分なのかもしれない。あえて未完にする賢さと心地よさに触れた。三島の大好きな友人達はどこで会っても変わらず暖かくて朗らか。

 

新しい人たちにも出会った。最近は人間関係に閉塞感を抱き気が滅入っていたところだったので、すっかり身体の中身が入れ替わって大変幸せ。

 

お犬様を散歩させている方々が多くお犬様フィーバーが各地で開催されていたのもありがたかった。

 

タイムスケジュールが存在する滞在のため月日でどさどさと5000円分くらいの本を買った。カウンターの女性が、会計時に本の間に何かを挟もうとする動きをしながら片手を小さな棚に伸ばした。カサカサとカードやらフライヤーやらをひととおり鳴らした後、小さな声で「あ、切れちゃったんだ...」と呟いていたようだった。何が切れていたのかこちらに伝えてこなかったのが面白かった。私はおそらく何かを受け取り損ねた。

 

『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』で初めて植本さんのことをちゃんと知ったつもりでいたが、Luteのドキュメンタリーで何度も観ていた人だったことを思い出して、それから彼女の文章をより欲することが増えた。

 

そういうわけで気になっていた

『かなわない』と『三人の日記 集合、解散!』が選ばれ、蟹の親子さんの『にき』が選ばれ、こうなると勢い付き、山下陽光さんの『途中で辞める 日々のこと』が選ばれた。にきのバッグを買いそれの中に詰めてもらった。

読書セット。

 

東京の大好きな友人に会う。彼女の近況を聞き、厄祓いの必要性を感じたので新宿伊勢丹1Fコスメフロアへお祓いに強制連行。仲良く新しい口紅を買う。彼女は明るい色が似合うし明るい場所にいた方がいいと思った。

 

予約していたFuzkueに。初台に行く時だけわざわざ渋谷のバス停を使う。奥渋を通り抜けるのがとても気に入っているから。都市の電飾ってなぜみんな暖色なんだろうと分かり切った答えをいくつか手札に持った上でさめざめとした感動を浮かべては沈める遊びをした。子供のする遊びの残酷さに近い。

 

阿久津さんがお店にいらっしゃった。私の中で阿久津さんはほとんど神様に近い人なので、毎日のように読んでいる本を書いている人が、コーヒーを淹れたり、せっせと何かをこしらえているのを不思議な気持ちで見る。あ、阿久津さんだ。すごい、働いている。となりながら、初めて見るスタッフの方のチャーミングな笑顔にびっくりした。静かな店では、声色で感情を表すことに制限がかかるため、明るさや親しみを持った感情、優しさなどを精一杯表現しているような笑顔をしているのかなと思った。アウトプットとは別のところにある働き掛けのことが大好き。

迷った挙句、『にき』が読まれる。蟹の親子さんは『ポイエティークラジオ』という、Podcast番組のゲスト回でお話しされているのを聴き、その話し方から、とても快活でハキハキとした性格の人なのかと勝手に思っていた。文章の上にいる人とその声の主が同じ人だと理解するのに少しだけ時間がかかった。勝手な想像で勝手に難しくしてしまってごめんなさい。

 

ぐんぐん読んだ。日記として書かれる日々の中で会ったことのない人が喜んだり悲しんだりしている。お構いなしで同じ速度でページは捲られ30分で蟹の親子さんの3ヶ月分の暮らしは読まれてしまった。

 

Fuzkueのカフェ・マリアテレジアの信じられないくらいの美味しさにすっかりやられ、最終的にサンドイッチも食べた。

 

人と会って本を読んでいた。どこだっていつもと同じような生活がしたい。

20231020

前髪を切って髪をまた黒く染めている。今は髪が真っ黒になるのを待ちながらこれを書いてる。私の人生って大体こんな感じ。もう少し落ち着いて暮らしてほしい。

 

明日というかもう今日出かけないとならないのに。寝たい。前髪は切りすぎたし。でもいい感じ。自分のこと、愉快でいい奴だと思ってる。毎日が楽しい。そうであって欲しいと願ったことがちゃんと実現できているのは本当に幸せなこと。いろんな人に毎日楽しそうだねって言われるけれど、それは本当のことだし、大嘘でもある。

 

書きたいことがたくさんあるんだけど、もうそろそろ頭皮が悲鳴をあげそうだからシャワーを浴びて少し寝て新幹線に飛び乗るんだと思う。今日もいい日でした。

20231019

移動中Laura day romanceをずっと聴いていた。自分でもどうしてこんなに好きなのかわからないくらい好きなバンド。ceroはどれだけ好きなのかありとあらゆる言葉を駆使して説明できるのに、Lauraはとても抽象的。チェック模様や、フリルやレースがLauraの音楽で大丈夫になった。とかそういう不思議な愛のものさしを私に与えてくれた人々。

 

大変なことになるかと思った木曜日だったがまた気絶をしているうちに退勤していた。なんとなくそのまま家に帰りたくなくて、何かしら人の作った料理とアルコールが求められたが、ラストオーダーの時間に若干被りそうだった。店に入った時にラストオーダーまで30分くらいなんですけど〜の言葉の裏にある何かを感じ取ってしまうのが嫌なので大人しく家に帰った。

 

とはいえ食欲はコントロールできても、依存物質が含まれているアルコールへの欲求は抑えられなかったのでコンビニに行った。タバコを吸おうと思って喫煙エリアに行ったらギャルが奇妙な動きをしていたので、ギャルって奇妙な動きをするんだ。と遠くからしばらく見ていた。どうやらゴキブリがいたようだった。ギャルにも苦手なものあるんだ。そこまでしてタバコを吸いたいと思うのはもはや強いのでは。と一通り頭の無駄遣いをしているうちに喫煙の方の欲求は失せた。

 

週末は都内で過ごす、定期的に行っているとはいえ消費が前提で回る環境というのに適応できないので、精神的な面でも経済的な面でも行ける時と行けない時がある。今回はいろんな要素が合わさって行けるに全振りしたため、久しぶりに旅程などを立ててみた。ほぼ最小単位で生活をしているので立てようが立てまいが誰にも影響しないのだけれど、ある程度定められると安心するのだなと思った。行きたい本屋で使うことのできる金額を算出したりした。新刊なら各店舗最大2冊、古本なら5冊、古書なら1冊といった具合だった。目は2つ、脳は1つ。ありとあらゆるものに数字を与えた途端、限界が発生する。

 

ぼーっとしながらスレッズをみていたら荒内さんが古の顔文字と共に荒内さんとしか言いようのない動画をシェアしていた(しかも2連投)

 

独自の動き、かなり良いな。

 

あまりにも大きすぎる犬と、大きすぎる謎の植物を抱える人を立て続けに見たので、私が何かしらの権力を持っていたら今日を祝日にしていたと思う。

 

本来、日常は全て祝福されるべきではある。

 

 

20231018

さっき出社したかと思ったら日が暮れていて皿のような月が出ていた。1日があっという間だったが、自分の感覚だけが先にぐいぐい進んで、体はちゃんと疲労していたのが面白かった。これ以上会社で座すのは困難と判断し逃げの退勤。明日の自分に託す、無責任でごめん。

 

帰宅し、再び、座。大きなモニタの前で目を土偶のように細めイラレのデータと格闘する。フォントをいじくり回している。最近はずっと文字。賢いイラレは上手いことひっぱりを誘導してくれるのだけれど、ちょうどその誘導される前と後の間に線を置きたかったので、あぁあああと化け物のような声を出しながら全敗した。どんどん目が変になっていくのを見送った。

 

引き続き雑談 OF THE DEADが読まれる。大学時代に映画の研究をしていたので、映画の構造を分解してちゃんと考えて自分ごととして困惑する、みたいな流れがあって安心する。論考と考察を同義にしている昨今の考察ブームは早く滅べばいい。自己顕示欲を満たすために人の物語を無断で書き換えるな。

 

疲れているとソリッドな物言いと感性になってしまう。これくらいひりついたものがあると反動で穏やかにならねば。となってしまう。そっちの方が問題なのだ。穏やかになろうと努めない強さの方が今は欲しい。

 

久しぶりに、全体が引き伸ばされるタイプの疲労だ。明日が山かと思ったら明後日も不穏なスケジュールとなっている。なんでだ。ヘトヘトだなぁ。ヘトヘトという言葉を考えた人本当にありがとう。気に入っているブランドの展示会の情報を一通りチェックし、正気を保つ。

今日は日付が変わる前に寝たい。

 

 

20231017

丸一日外出し、打ち合わせだった。移動中は、仕事のパフォーマンスを自分のモチベーションに左右されたくないのでどうしたら良いかということを上司に尋ねた。上司は私と近しい意見を持っていたので、彼が心がけていることをいくつか教えてもらった。スポーツはやっていたかと聞かれ、やっていなかった。と答えると、楽器の演奏方法を例に挙げ説明をしてくれた。仕事ができる人というのはこうした瞬間の機転、というか相手の側に移動して横に立つスピードが尋常じゃなく早いのだな。と感動した。状況が読めない相手に対して、一歩引いて推し量るのではなく、近づいてよく見てみるという選択を取れる聡明さと強さよ。大袈裟でなく、自分ができないことをやってのける人を見かけるたびにこれくらい感動してしまう。自分一人だけで見ている世界では、自分ができないことは、実現されないことだから。人と関わることで自分の人生において可能性自体が発生する。そういうことが楽しい。常に開かれた情緒でありたい。

 

徒歩で退勤した。道中、日記に書くことを脳内で整理し編集していた。

 

実際は15日に書かれた日記だったが書いているうちに日を跨いだため16日の投稿となった。本来昨日も書くべきだったのだけれど、16日が2回ある状態と、一日を書かないでおくことを天秤にかける。結果、書かない方が選ばれ、そうなると、存在している1日が失われたような気がしてくる。やや、失われたような気がする。書くことを始めたことによって、書かれなかったことが気になるという面白さ。存在を強く認識しすぎるがために、不在に対して過度に反応をする。何事もそうなのかもしれない。

 

あまりにも世の中を概念として捉え過ぎな気も。どうだろう。

 

とても朗らかな1日だったのでいつもは通らない大きな広場を突っ切って帰る。以前上野でジェダイさんと佐々木さんの2人展にお邪魔した時に、ジェダイさんが「彫刻が街中に多いですよね、あれなんでなんですか。」と言っていた。あれから、街中にある彫刻がやけに目に入るようになり広場の入り口にあるいくつかの彫刻というかオブジェというか、立体物に近づいてみることにした。

 

 

 

なんだかよくわからないけれど、そういうものが街中に乱立しているというのはかなり豊かなことだなと思う。

目の前にわからないものがあるってどういう状況なのだろうか。認識していないのに、いるみたいなことでしょう。こういう意味の裏側や隙間を行ったり来たりうろうろしている時には、脳が膨張したり縮小しているイメージが勝手に湧く。そんなことが起きたら即死である。

今日は視点や意識の移動についてよく考え感じた日だった。こういう日がたくさんあるといい。いけそうな気がしたので『雑談 OF THE DEAD』になんの脈絡もなく手を出し読み始めた。