2023/10/27

怒涛の1週間が無事終わった。(力ずくで)何か大きな催し物があったといえばあった気もするがそれにしても、生活の崩壊具合が尋常じゃなく、帰宅・気絶・出社みたいな勢いで暮らしてしまった。

 

食生活が大変なことになったのが敗因な気もする。良くないことを考えても意味はない。

それにしても部屋の空気があまりにも澱んでいる、諸悪の根源は絶対にそのせい。改善できる範囲に原因があってよかった。仕事終わりにお兄の店へ行き長話をする。お兄と言っても血縁関係は一ミリもない。というか前職の上司であるため兄呼ばわりしているのはかなりおかしいが、兄のいない自分にとってはそのような位置づけが空いていたのでよしとしている。

 

今までいろんな人に会ってきたが、お兄ほどセンスというかなんというか、言語化が難しいのだけれど、自分の力でスタイルを選び取っている人に会ったことがない。自然発生的に持つセンスと、彼が選び取った(そうせざるを得なかったと言っていたけれど)ものに嘘がない。〇〇さんっぽいよね、がない人。全部がお兄の持つ雰囲気に収束しているように感じるのは、彼が本物についてずっと考えてきたからなのかもしれないなと思う。とても尊敬しているし、お兄に認めてもらえたらそれは本当にいいことだと思っている。絶大な信頼をおける人に出会えたのはかなりラッキーだった。

 

とはいえこんなことを本人の前で言うと真顔で無視をされる気がして仕方ないし、私もこんなこというのは照れくさいというか癪なので、私は私のスタイルを貫いていこうと思う。弱気になった時に、まぁお兄は絶対良いあるいはダメだとって言ってくれるだろうなと考えることができるので、それだけでかなり救われている。店に行くと毎回何かしらの呪詛を唱えているのが面白くて仕方がない。(本人はいたって本気で腹を立てているのでなおのこと)人生や暮らしを真剣に必死にやっている人が近くにいることで過去の自分が救われている気がしている。

 

 

人から声をかけられて何かをやる、ということがかなり増えてきた。一方で自分は、何かをやってやろう・これができますといった明確な何かを持っているわけではないし、プロフェッショナルなことは一つもないので、毎回不思議な気持ちになる。もちろん彼らも私にそう言ったクオリティなどを求めているわけではないことは重々承知の上だけれどやはり、どうして私なのだろうとふとした時、たとえば打ち合わせの帰り道なんかに考え込んでしまう。ネガティブでもポジティブでもなく、ずっと誰かと何かをしたくて生きてきただけだったのでそれらが急に目の前に現れたことに理解が追いついていないのだ。

私はずっと変わっていないから。

 

家のことをやらないといけない。部屋を片付けて洗濯を何度も回して食器を整えて朗らかに生きるための準備をしないと。作りたいプロダクトも、観たい映画も、聴きたい音楽も、読みたい本も、学ばなければならないことも山ほどある。楽しいことを想像してそのための道を黙々と歩けば良い場所に行けるし、道中でも良いものに出会える。本当に本当に明日死ぬんじゃないかと思うくらい疲れることもあるけれど、なんだかんだかなり充実してしまっている。

 

気を抜くと、適当に暮らしてしまうので、週のうちに読むべき本、観るべき映画をリストアップして、ひとつづつやって行こう。

 

友人らはどうしてそこまで、と心配するけれど、根があまりにも怠惰なのでこれくらいしないと普通の人の暮らしができないのだ。大袈裟じゃなくて、これしかできないからこれをやっているだけ。大勢の人と同じようにできないから、人と違う状態になっているだけ。誰だってそうでしょう?とりあえず明日は散歩に行って何から片付けようか考えよっと。