聞く人を間違えた。

今日は書類を受け取るためフレックス退勤をし、久しぶりに外で仕事をした。特にはかどることもなく、おそくなることもなく、オフィスと変わらずのスピード。

 

カフェで仕事をする方が捗るというのを、ビジネスの席で自慢げに話す人に遭遇するがそのたびに、どこでも同じパフォーマンスできる方がすごいだろうよ。と座った眼で聞き流している。ビジネスに向いていないのかもしれない。私は。

 

そんなこんなで、私も先述の人よろしく飲食店で作業をした。仕事の合間にシームレスに喫煙できることくらいしか良いことがなくて、ただの極悪OLだった。


味覚の中で「甘い」という感覚の意味のなさに気づいてしまってから甘いものを見るたびにちょっとウケてしまう。ここでの「意味のない」というのは私にとってという話で、それ自体の存在意義がないというわけではない。

 

調べたところ日本において、人間が知覚できる味のバリエーションは5つに分類されるらしい。そこには苦味、辛味、塩味、甘味とついでうま味と書いてあり、「うまみ...。」と何とも言えない気持ちになった。言ってやられたみたいな気持ちになった。

 

気を取り直して。

苦味は、良薬は口に苦しと言われるように、人体にとって栄養のあるものに時々ついてくる。辛味は、食欲を促進したり、血行を良くしたりする。塩味は塩分に紐づいている訳で、この時期は特にないと熱中症で倒れたりするので責任重大。

そうなってくると甘味とうま味に関しては、ほぼメンタル的な要素なのではと思って、白砂糖によってつくられた甘さを前面に出す飲食物を見ると、ゆるふわっぽさを感じるようになってしまった。糖質は甘くないものからでも摂取が可能だし。(うま味にいたってはもはや感性の世界な気もする。出汁ベースの料理を食べて「味が薄い」とかいう人はうま味自体に興味がないのかもしれないし。)

 

ケーキとかドーナツとか、パフェとかってフィジカルにとってめちゃくちゃ意味ないんだ。この食べ物。純度100の快楽じゃん。ぎょっとしてしまい、自分で進んでは食べなくなった。既にカフェイン・タバコ・アルコールの類をフルコンボしているので、作られた快楽はお腹いっぱいなのだと思う。健康的な発想ではなく、キャパシティの問題。

友人に「どうやって甘いもの我慢してるの?」と尋ねられたので、この話をひとしきりしたところ、「聞く人を間違えた」と言っていた。私に聞いてよかった試しがなくて不憫。