20231017

丸一日外出し、打ち合わせだった。移動中は、仕事のパフォーマンスを自分のモチベーションに左右されたくないのでどうしたら良いかということを上司に尋ねた。上司は私と近しい意見を持っていたので、彼が心がけていることをいくつか教えてもらった。スポーツはやっていたかと聞かれ、やっていなかった。と答えると、楽器の演奏方法を例に挙げ説明をしてくれた。仕事ができる人というのはこうした瞬間の機転、というか相手の側に移動して横に立つスピードが尋常じゃなく早いのだな。と感動した。状況が読めない相手に対して、一歩引いて推し量るのではなく、近づいてよく見てみるという選択を取れる聡明さと強さよ。大袈裟でなく、自分ができないことをやってのける人を見かけるたびにこれくらい感動してしまう。自分一人だけで見ている世界では、自分ができないことは、実現されないことだから。人と関わることで自分の人生において可能性自体が発生する。そういうことが楽しい。常に開かれた情緒でありたい。

 

徒歩で退勤した。道中、日記に書くことを脳内で整理し編集していた。

 

実際は15日に書かれた日記だったが書いているうちに日を跨いだため16日の投稿となった。本来昨日も書くべきだったのだけれど、16日が2回ある状態と、一日を書かないでおくことを天秤にかける。結果、書かない方が選ばれ、そうなると、存在している1日が失われたような気がしてくる。やや、失われたような気がする。書くことを始めたことによって、書かれなかったことが気になるという面白さ。存在を強く認識しすぎるがために、不在に対して過度に反応をする。何事もそうなのかもしれない。

 

あまりにも世の中を概念として捉え過ぎな気も。どうだろう。

 

とても朗らかな1日だったのでいつもは通らない大きな広場を突っ切って帰る。以前上野でジェダイさんと佐々木さんの2人展にお邪魔した時に、ジェダイさんが「彫刻が街中に多いですよね、あれなんでなんですか。」と言っていた。あれから、街中にある彫刻がやけに目に入るようになり広場の入り口にあるいくつかの彫刻というかオブジェというか、立体物に近づいてみることにした。

 

 

 

なんだかよくわからないけれど、そういうものが街中に乱立しているというのはかなり豊かなことだなと思う。

目の前にわからないものがあるってどういう状況なのだろうか。認識していないのに、いるみたいなことでしょう。こういう意味の裏側や隙間を行ったり来たりうろうろしている時には、脳が膨張したり縮小しているイメージが勝手に湧く。そんなことが起きたら即死である。

今日は視点や意識の移動についてよく考え感じた日だった。こういう日がたくさんあるといい。いけそうな気がしたので『雑談 OF THE DEAD』になんの脈絡もなく手を出し読み始めた。