内臓剥離出血前不調有!

どん曇りミッドサマー。

 

どうもこうも本調子ではなく、昨日もなんと言ったらいいのかわからない寂しさというか、他者の価値観みたいなものをわざわざ引っ張り出しては私はどうして....。と落ち込んでいた。

 

冷静にこれを書いているのもかなり奇妙な話で、以前医者にそのことを伝えると、一定数(これは顕在化していないだけで本来は成人女性の4人に1人の割合であるらしい)私と同じ状態になる人がいるという。ただ、私の場合言語処理をしてしまうので余計に具体の事象として辛い部分があるとのこと。

 

 

野球で言うと変化球の持ち球が多いがゆえに調子を崩すと暴投の確率が上がるみたいなもんです。目指せ加藤貴之。彼は日ハムが誇る謎ピッチャーで、先日のセ・パ交流戦では前代未聞のフォアボールゼロを叩き出し、K/BBと呼ばれる奪三振を与四死球で割って算出する、投手の能力データが先述の理由で算出できなかったそう。「0」でなく「ー(計測不可)」である。前提条件を破壊した、真顔で。とんでもない打たれ方をしても真顔なので、サイボーグなのかなと心配になるが、だとしたら打たれないので、人間だと思う。加藤は変化球の球種が多いが落ち着いて投げるため、ボール球になったとしても相手に振らせるし全般的に球の対処が上手い。本当にすごいピッチャーだと思う。加藤の試合は貧打になりがちなのでめちゃくちゃ点をとって勝たせたい。加藤で勝とうという本当に応援している層の主要な年齢がバレそうなスローガンだが、加藤で勝とう。と思ってるよ。ね。頑張ろうね。

 

 

脱線しまくって危うく違う路線になるところだった。何が言いたいかというと、自分の持っているものを適切にコントロールしなければなと言う話。仕方ないのだ。

 

PMDDは子宮や卵巣など、いわゆる月経を引き起こすものを摘出しない限り現在の医療行為では対処のしようがない、精神的な苦痛のこと。

 

 

実際にPMDDによって卵巣などを全摘出するに至ったケースもあるそう。PMDDはそれ単体で月に一度発生することを想定しているが、それだけが不調として月一で出ることはあるのだろうか。実際その人が全く精神的な疾患や、疾患に該当せずとも不調を抱えている場合もある。

 

 

というか毎日絶好調ですというような人は今の世の中にいないと思っているので、ドラッグとかでハイになっているやつを除いて。だから、ふとした拍子に既に持っている不調とPMDDが結びついてしまって、よくない選択をしてしまうこともあるらしい。自傷や、極端な選択など。幸いと言っていいかわからないが、私は別の理由で調子を整える薬や元から勉強していたハーブや漢方で対処をしているのでそこまでの落ち込みはないようにしているが、それでもひどく不調になる。逆に丸腰でいたら今頃どうなっていたのだろうか。

 

PMDDについてこれを見たら大体わかるというものがありました。BBCが制作しているPMDDを抱える女性のインタビューを載せておきます(日本版に編集されているので全編字幕付きです)ので、体の性別が女性の方はもちろん女性と仲良くしたいと思っている生理がこない人にも私が言ってることがなんなのかわからない場合も一回見てみるといいかもしれないです。

 

 

 

コメント欄には同じ症状に苦しむ方の発言が載っていました。ただしこれは登場する人に起こっていることなので、全員に起こる訳じゃないです。メディアという性質上センセーショナルな症状を持ってきているなという印象。だから自分や相手が、この動画に出てきているものに当てはまらないからと言って苦しんでいないということになはらないというのが前提になればいいなと思います。共感することはできなくても、関心を持つことはできるだろうし、結局対応して良くしていくのは本人ですから、何もできなくて当たり前。

 

動画こちら

youtu.be

 

腕から大量に血が出ているのを見て、大したことないという人はいないのに、月経は大したことないに勝手になってしまうのはなんでなんだろうなと思っています。生理って名前もよくないよなと思っていますがね...。いっそのこと内臓剥離出血とかにしたら?

 

 

 

女性特有の不調を訴えた際、毎回毎回生活習慣をどうにかしたら?という助言をいただくが、それは全ての不調に言えることです!!!という気持ちでそれはそうだけれども...。というなんとも歯切れの悪い気持ちになる。

 

20代前半にあまりにも辛いので生活習慣をと思い、インターネットで栄養士から栄養指導を受けた。指示に従いきちんとした暮らしを送った月にPMDDがきた時、一度だけあー死んでしまおうかなと思った。その日のことは鮮明に覚えている。毎朝決まった時間に寝起きをし3食食べ、添加物や体を冷やすものを控えたのに、だ。余計に辛かった。私は手の施しようがない欠陥品なんだと思った。今思えば当たり前でしょうバカだねぇで笑って済ませられるがその年の半年は月経の不調を自分で受け入れられなかった。

 

 

 

そんなこんなで、今はもうPMDD来ちゃうから。来ちゃったねー最悪ーと落ち込む準備に勤しむ様になった。ちゃんと落ち込むし。その代わり毎月どんな落ち込みがあったかを記録する様にして、その落ち込みに対して何を行動したかを確認できる様にしている。PMDDPMS不定型、これと言って毎月同じ症状が出てはこないので、都度対処が異なる。長年向き合っているとバリエーションの枚数はわかってきたので、これにはこれと手札を出せる様になってきている。でもやっぱり、この器に全ての意思の決定権があるってことが受け入れ難い。ピルを飲んだり、抗鬱剤を飲んだり、ありとあらゆる手を尽くして生きようとすることになんの意味があるのだろうかとか普通に思う。まるで月経のために生きているみたいな感覚。この期間は自分の選択を何も信じられなくなるのがなかなか、ね。

 

あとはもう友達に、すがってます。助けてくれーって言ってる。言うだけで楽になるというのは、あります。助けてくれと私が縋る友達は限られていて、その人は同じ様な地獄を知っている人たちなので、今月の地獄はこちら!!みたいな感じで打ち明けている。そういうコミュニティができたらいいなとは思っている。心のシェルター。

 

さて今月のPMDDはというと人間関係無理無理Daysである。

人と関わるのがとても億劫になっている。以下の状態になるのを避けるためでもある。


①連絡をしてそれが返ってくるまでの間に例え様のない不安を感じたり、もう連絡してこないでほしい。という感情になったりする。

②相手の過去の発言によって、自分がしたいと思ったことをやめてしまったり、逆に望んでいないことをしてしまったりする。別に楽しくないのに。それで楽しくないと思ってしまう自分は他者にとってふさわしく無いのかもしれないという訳のわからないめちゃくちゃなロジックで苦しむ。

 

人とトラブルになったり、大切な人に拒否感をいただいてしまったりするので嘘なんですけど、嘘じゃなくて泣となるので原因を遮断している。今だったら間違いなくホルガ村ごと燃やしているか私が自分に火をつけているでしょうね。あぁ恐ろし。

 

 

大変だねぇみんな。よく生きてるよ長いこと。

 

今日は野球がありますからね!明日はエスコンフィールドの屋根が開くそうですよ。「そらびらき」と呼んでいるらしく、なんてかわいい球団なんだろうとニコニコしている。

日ハムは百薬の長。

頭も掃除したい。

PMDDですわよ。と言った具合で元からさほどしっかりしていなかったであろう物事への認知が歪みまくっている。朝7時前に起床したのに、気を失うようにまた寝、目を覚ますと9時だった。それから、いつもはしないのにスマートフォンを触ったり、それでまた眠気がきたりし、いい加減にしろ。とベットから出た。蒸し暑い日が続いている。

 

静かにしているとありもしない不安が襲ってくるので、やいやいと部屋を片付けた。月の中でサイクルがありそれに従わざるを得ないというのはなんとも自分の身体の都合で意思を緩やかに誘導されている気がして少し辛い。もちろん、絶対的な身体的理由においてもっと制限がかかる人だっているので本当に軽微なものなのだろうけれど、私の器に対しての辛さはそれとして認めてあげても良いだろうと思う。自分だけは、という範囲で。

 

大体PMDDが発症する数日前から家のことへのやる気が起きず、そのまま散らかった部屋でやつを迎えなければならなくなるので悪循環であるのがずっと気にかかっていた。机の周りだけでも模様替えなどをし、落ち着かせた。掃除をするのがとても苦手なので、こうして一個ずつ自分を大丈夫にしていけたらいいなと思う。

 

特に今日は予定を入れず掃除をすればよろし。の日なので目立つことはない。一日を通してみて頭の中に随分を物事を詰め込んで暮らしているなと思った。ありもしないことを考えてしまうのは置いておくとして、それでも実際に自分の身に起こっていないことをあれこれ憂慮したり、それによって自分と向き合う時間が圧迫されているというか。本当に望むことのキャパシティが実在しない他人の声によって結構阻害されがちである。何も気にしないように振る舞う人も頭の中はどうなっているか本人でもわからないことはあるだろう。どうしたものか。

 

PMDDのせいですね。

ピンポンと手書き文字からは逃れられないようになっている。

いざ社会復帰!として意気込み会社に行った。というのは半分嘘で、昨晩から朝にかけて「大丈夫であろうか、大丈夫とはどのようなことを指すのだろうか?」と蟻地獄のような妄想にちゃんと振り回され、それでもむくりと起き、煙草を吸い正気になる。

 

10:30のオフィスはもう全員フルで仕事をし始めているので、そろり...。といった様子で出社したわけだが、皆さんあ、ひさしぶり〜!といった感じで迎え入れてくれた。(本当にありがとうございます!!!)と心の内で大きめの声でお礼を言って歩いた。すぐに面談があり、今後1ヶ月ないしそれ以降の去就について話が共有され、症状等について簡単に報告をした。正直なところ、外科手術で治るものではない疾患は完治という概念がそもそも存在しないので、まだ食欲は戻っていないし、仕事できるんだろうか。というような不安はある。とはいえ、こう言った類の「だろうか不安」は走り出さない限り少なくとも良い方には進まないものであるので、やれるだけやってみようという気持ち。勤務時間が9:00-18:00の固定になり月の残業は10時間以内に収まるように配慮してくださるとのことで、大変ありがたい。変にプレッシャーとして変換せずに、目の前のことをやっていきたい。そうじゃないとまた大変なことになるので。

 

 

明日から仕事が始まると思っていたが、様々な準備があるため、結局仕事をするのは来週の月曜からになった。思いがけず時間ができてしまい、拍子抜けしている。今日は野球もない。明日もない。明後日はある。

 

何をしようか決めないで過ごす時間というのも案外楽しく、ソファでぼーっとしたりをやっている。しかし今日はゆっくりできない理由がある。

 

印刷製本された詩集が夕方届く。これが大変恐ろしいことで。ブツが届くというのもそうなのだが、私はピンポンが本当に苦手なのだ。突発的に大きい音が鳴るというのが、本当に無理なのである。そのため、扉の前に『荷物はチャイムを鳴らさず扉の前に置いてください』という貼り紙を配送予定があるときには貼っている。日本以外では絶対にできない行為だが、本当に無理なのであるから仕方がないし、引っ越した際にはインターホンか宅配ボックスがある家に住もうと思う。

 

不思議なもので、うっかり貼り紙なしにしてしまった場合でもAmazonの配達だけなぜか何も言わずに置いていく。あれは一体どういうルールなのだろうか。うちに配送するのは個人委託の業者ではなく大手の配送業者が担当することが多く、Amazon(お金を出している)で無音なら他もピンポン要らなくないか。と思ったりしてしまうが、そういうわけにもいかない何らかの事情があるのだろう。せっせと扉の前に貼り紙をする暮らしをかれこれ4年くらい続けているが人によってガン無視で3回くらいピンポンを鳴らす猛者もおりもう部屋の前に座ってようかなと思ったときもある。怖すぎるからやめましたが。また、貼り紙をしてその時間に家にいなければいいのではとも思ったが、持って帰ってしまうこともある。その場合、なんだかんだ結局ピンポンに驚き「すいません!扉の前に置いてください!」が発生するのだ。

 



貼り紙といえば、それも実は苦手で、かなり怖い。街中で個人制作の貼り紙を見かけるとぎょっとしてしまう。伝えたいことしか載っていない(当たり前)のでその意思というか、まだ意思ならおぉ...。で済むのだが怒りや怨念めいたものが乗っているケースもある、犬の糞尿禁止とか、貼り紙禁止とか、無断駐車禁ずとか。どう考えてもその文字の対象となっている行為をやる方が120%良くないのだが、文字情報(しかも手書き)になるとかなり、こう、グルーヴ感があるというか、要するに生々しいのである。書道を推進していた高校の出身の身でとんでもないことを言っているのは重々承知だが、他人の生命がむき出しになるものはやっぱり怖い。嫌いとかじゃなくて、畏怖の感情である。なのでネガティブなものではなく圧倒されているという方が近いのかも知れない。計り知れない人生経験を積んできたご高齢の方が書く文字というのは内容を除いても迫るものがある。ちなみに自分の祖父母の字はあまりにもトリッキーなため一発では読めません。ほぼ勘で読んでいる。英語の長文問題で知らない単語が出てきた時の探り方と同じ脳の使い方をしている。

 

一方大先生は街中に出現する手書き文字が大好きで、本人曰く「じじいが書いたっぽいものであればあるほどいい」とのこと。ストリート文字収集家として、日夜、民家の壁や電柱をディグしている。かなり上品な方なので、突然「じじい」という単語が飛び出たときは、大層驚いた。時々大先生は「じじい」という単語を使うが、これはいわゆる馬鹿にしたニュアンスではなく、敬意のある「じじい」だなと思っている。大項目である「おじいさん」という中に「じじい」という小項目があるという印象。きっと彼は「じじい」という存在に何かしらの関心を持っているのだ。リスペクト蔑称という新ジャンル。大先生はアヴァンギャルドというかネオクラシックというか、文脈のある新しさを提供してくれる。私が単に面白がりすぎな説もある。

 

 

怖いなぁと思いながらなるべくポップに見えるように今回も貼り紙を作る。全くもっていらない配慮であるのは重々承知だが気合が入る。マジックペンだと筆圧が乗りすぎるし、ボールペンだと適当すぎる。かと言ってクレヨンだとホラーめいた不穏さが出てしまう。どうしたものかと思い、ふと絵具箱の底を漁っていると、製作で使っていたギンギラのポスカが出てきた。「ギンギラのポスカ!!」とまた心の内で大きめの声を出した。ギンギラのポスカとは、uniのポスカ極細タイプぎん.26のことです。コズミックな方のシルバーをしており、文字を書いても文字というよりタイポグラフィー感が出ていい感じ。物は言いよう、病は気からである。ただ、残念なことにギンギラは白い紙の上で全く見えず速攻で没になった。あーん。

 

あーだこーだ言っているうちにピンポンが迫ってきて、狼狽える。
というか貼り紙をしたのに、ピンポンは配達員によって鳴らされ、飛び上がるほど驚かされぐったりした。

 

結局私には、ピンポンの音は止められないし、貼り出された街中の手書き文字を全て明朝体にすることもできない。一生ピンポンと手書き文字にびっくりして生きていくのだ。

 

 

セルフケアもほどほどに。

セルフケアだのセルフラブだのといってセミナーや商品が売られているらしい。というか目にしてきて、その度になんと胡散臭いことか!と思っているが、めくじらを立てるほどのものでもないので、そういうケアが必要な人もいるよな。と思う。一方でやはり外部発注だと、根本的な解決にはならないのでは?という一抹の不安もありどんなに辛いことがあっても(今となってはこの辛さも妄想の域を出ないのだけれども)それらのキラキラコンテンツには近付かないようにしていた。いいかどうかはわかりませんが。

 

どうしてもケアというと癒すや休むといったニュアンスが多く、優しくいることを強いられる気がしていて、別に怒っても泣き喚いてもいいだろうに。と己の性格との不一致を嘆いたりもしていた。やはりどこかで、画一的なものをインストールしなければならないという点において上記のセルフケア界隈には一線を引かせていただいている。というのも私の苦しみの根源はその画一化された理想像であったからだ。こうしなければならない、このような対応をされなければならない。〇〇でなければあなたは幸せではありませんから。と突き放されているような。小さい頃に、私だけなぜか共有されなかった色々があったがそれを知る術がなかった時のあの嫌な感じに似ており、そういう直感は大体当たる。

 

藁にもすがるような思いでしんどさの中にいるというのに呑気にキャンドルを炊いて風呂に入れるやつがどこにいるのだ。というのを問いたい。誰に聞いたらいいんですかね?

 

真面目な話に戻すと、他人から与えられた方法というのは最初の数回はうまく行ったとしてもそれ自体は自分のオリジナルではないので、どこかで無理が生じるのではないか。多少時間はかかっても、その手があったか!的な発想の方を大事にしていけたらいいのになと思う。私は、つい最近まで、疲れた時は誰かに癒してもらうべき、というのがインストールされていたせいで辛さが50倍くらいになって返ってくる羽目になった。であれば携帯をおいて外に出かけ、人に癒してもらわずとも自分を癒す経験をどれだけ小さくても成功体験として覚えさせる方が良かったりした。これも自分が行動したからわかったことで、人から教わったことを延々なぞるだけではエンドレスに地獄であった可能性がある。

 

もちろん教わったことを実行してその上で自分にフィットする形を作れればそれがベストの一つでもあるだろうが、ケアを必要とするくらいの精神状態においては、うまくいかない経験が一つでもあるだけでどん底まで最速で落ちてしまうので結局うまくいかなかった記憶だけがうっすら澱のように蓄積されてしまう。

 

生理前で些細なことで落ち込んだり、空元気になってしまうが、うーんと思い直し、無理に落ち込む必要もなければ元気である必要もないし、そうなったらなっただな。と考えたりした。雨の日は何かを許されている気になるが、誰に許しを請うた覚えもないので、静かにのそのそ暮らした。曖昧に寂しいときは一人でいた方が良い。それくらいの寂しさならば一人で抱えられるし、抱えきれない寂しさを感じるものについてはそもそも触れるべきではないのかもしれない。

 

入稿した詩集が明日届く。今すぐに見たい気持ちもあるが、落丁していたらなどと思うと胃に穴が開きそうなので一生届かないでほしいとも思う。あの段ボールを開ける時が一番怖いので毎回冊子なんて作るものですか!となるが、結局人は歴史を繰り返しますから、半年後にはまた忘れて何か作ろうとしているのだろうな。

 

 

 

特別なことは何もない。それでも明日は保証されていない。

昨晩は大先生のスマホが大破したとのことで、データバックアップやらSNSの移行準備やらに追われた。普段使っている画面が使いづらくなるというのは大変に厄介なことで、普段からあまり電子機器に関心のない大先生にストレスをかけすぎていないかだけが心配だったが、無事幾つかのセキュリテイ的なトラブルを乗り越え操作は完了した。お互いができることをたとえどんなに小さいことだとしても、わけ合えたのが嬉しかった。事が済んだのもそうだけれども。いつも私は大先生に助けてもらう事が多くおんぶに抱っこの部分があるのでこうして、彼が苦手なことを自分の能力や興味関心によってサポートできるのは誇らしい気持ちになる。誰かの役に立ちたいとは微塵も思わないがこうして自己肯定感というのは培われていくのかもしれない。

 

お互いがいることで「できないと思っていた」事が「できるかもしれない」事になるのが私はとても幸せだと思う。事の大きさは関係なく、電話をしながら散歩をしていたらいつもより長いこと歩けたとかで十分。

 

そんなこんなで日は明け、水曜から会社に戻ることになったので最後の休暇をゆっくり過ごした。昨日に引き続き本や論文が読まれ、私はこれが好きだということを噛み締めた一日だった。

 

PMDDPMSが嫌な気配を醸し出していたので、先にいつもより多く食事をしてみようかと、サイゼリヤで肉を食べたが、恐ろしいことに全く美味しくなかった。サイゼリヤの名誉を毀損しないために正しくいうと、私の味覚が美味しいと感じなくなってしまっていた。絶句ものである。サイゼリヤなど何を頼んでも美味しく安くお腹いっぱいにしてくれるファミレス日本代表だったのに、悪いのは私です。。。といった気持ちで落ち込んだ(PMDD)

 

その後強烈な眠気に襲われ気絶するように寝。

 

夕方起き、読み終えた本2冊と読まないであろう本1冊を返す代わりに、昨日より触れているスラブ文化圏の歴史に関する書籍と、川上未映子フェアを実施するために本を借りたかった。図書館へ赴き予定通り遂行された。

 

道中で大先生から画面の半分が使えなくなりましたと連絡がありじゃあ今これはどうやって打っているんだ。と疑問に思ったが、今複雑なコミュニケーションはできないであろうと判断したため聞かず、コミュニケーションはテキストから電話に切り替わった。それから結局3時間くらい電話をし、互いに夕飯を食べ酒を飲み今である。黙々と鯛を調理する音を聞きながら私はひたすら川上未映子の話と世界宗教の話をした。

 

生活の延長に人がいる事の面白さよ。特別なことは何もなく、それでも続く関係性を特別と呼ばずになんと呼ぼうか。明日また話せる保証はどこにもないのだ、今日も健やかに大先生が盛大に寝落ちしてくれたことを嬉しく思う。

父の日に81年前の虐殺を考えるとは。

今朝方、大先生から気鋭の文化人がツイッター(絶対にXと呼ばない風習が板についてきた)で人文学的な営みを経済的な生活の中で行うことの難しさと対処法について述べているものが共有され、読まれた。昨晩本の話をしたからなのか、大先生のことだからただ見つけて、お。と思って共有したにすぎないだろうけれど。いずれにせよ、何かを共有したいという対象になることは喜ばしいことである。ありがたく受け取る。

 

曰く、やはり人間の頭は人文的なものと、そうでないもののスイッチがあるということ。この事実からは逃れられない様で。やや落胆したのだが一意見としてなるほどと概ね腑に落ちた。おそらくネットを漁れば、別の意見も発見され、スイッチがない論や全て経済的な営みである論や、人文的な生命体である論なんてのも出てくるだろう。

 

いずれにせよ、自分の状態を客観視する能力が私は弱いと感じていたので、自分はどちらの時間を好んでいるのかを考えたが、ものの数秒で前者だということがわかった。というか体調崩したのはそのせいだろう。とちょっと笑ってしまった。深刻になりすぎだった。笑い事にもならないほど切実に人文的な行いを欲していることはまごうことなき事実で、ケアとして自分に与えても良いのだと納得した。人文がないと生きられない。あと野球。

 

ということで気になるトピックというか気になっていたけれど放置していたものをざっと見ると、論文と映画を交互に見て理解を深めていくという行為をすっかりやっていなかったのに気付き呆然とした。漫画だったら「ガーーーン!」とでかい効果音が頭に落ちてきているくらい。漫画のイメージがかなり古くて悲しい。ネットは便利なのであちこちに見たい映画の情報を保存している中で偶然Instagramのショート動画で流れてきた『炎628』のことを思い出し、ざーっと調べてみた。

Wikipediaには下記のとおり書かれていた。

 

ja.wikipedia.org

 

炎628』(ほのお628、原題 ロシア語: Иди и смотри、『来たれ、そして見よ』または『行け、そして見よ』[1])は、1985年公開のソ連映画

続いて概要には

1943年ドイツ占領下のベラルーシ英語版ロシア語版を舞台に、赤軍パルチザンに身を投じた少年がドイツ軍アインザッツグルッペンによる虐殺を目の当たりにする様子を描いた映画。

1943年3月22日ベラルーシで起きたハティニ虐殺を基にした作家アレシ・アダモヴィチ英語版の小説『ハティニ物語ロシア語版』を原作としている[1]大祖国戦争戦勝40周年となる1985年に合わせて製作された。

とのことで、いわゆる戦争映画の分野に入るのだが、ネット上では「検索してはいけない言葉」リスト入りを果たしており、残虐さやストーリーの恐ろしさが人々の関心をひいている様だった。が、今現在もこの様なことは他国で実際に起こっており、あぁ怖かったねでは済まされない状況となっているのが結構辛いものがある。



しかし、この作品を見る術がない(レンタル等の取り扱いがない)ことの方にしっかり喰らってしまった。戦争映画っていつからこんなに遠くのものになったのだろう。SNSを開くと毎分パレスチナについての話が出てくるのに、そんなに重要じゃないの?過去の史実って。と呆然としてしまう。戦争にまつわる文学も、絵画も、映画も、音楽も、それこそが真実だという可能性があるはずなのに、見向きもされないのかと思うとやるせない。そんなことはないのだろうけれど、やっぱりがっかりしてしまう。



気を取り直して、見る方法はいくらでもあるはずなので諦めず映画の方は追いかけていきたい。ただ、嬉しいこともあり、国内でこのハティニ虐殺を取り扱った論文が発表されており、大好きなCiNiiに世話になった。懐かしすぎて涙が出る。大好きだよ、論文検索サービス。。。

 

調べると、氏は現在は慶應義塾大学で教鞭をとっているそうだが、この論文は北大に在籍中に執筆された様子。こんなことを気にしていると北大卒のようですが私は全く違うトンチキ大学の出なので、ちゃんと書いておく。違う大学を卒業しています私は。とはいえなんとなく不思議な縁を感じる。なんとなくね。

 

スラブ文化の研究の一環としてハティニ虐殺を取り扱っていた。また驚くのだが、ハティニ虐殺とGoogle検索をした際に引っかかるのは氏の論文だけだった。書籍などはないのか...?やや嫌な予感はするが、ハティニ物語自体Wikiのページが存在していなかったため、そうなのかもしれない。

 

氏の論文は下記からPDFダウンロード可

www.jstage.jst.go.jp

 

なぜこんなに戦争への関心があるかというと母方の祖父の兄は戦争で亡くなっており、それによってなのか、祖父は私と妹が物心つく前から戦争の話を言って聞かせていたからなのだなと思う。その様な父(祖父)のもとで育った母は同じように戦争に関心を持ち、母は、第二次世界大戦、とりわけナチスドイツの歴史に関心が向いた様だった。子供の頃から、母は私にアウシュビッツの話を聞かせそれによって様々な映画の存在を知った。

 

父は、航空自衛隊パイロットになる選択肢や大学へ行く選択肢も持っていたがそれらを諦めており、母同様に人文への欲求はかなりあるのだろう。日本史について尋ねると教科書より詳しい情報が返ってくる時もある。戦争については戦闘機の最後までを知ってたりするから、敵わないなと思う。自分の欲求に従って得た知識であるから尚の事。よくあの何もない田舎でこんな人間が2人もいたよなと思う。興味関心は違えどほぼ同じ人間だからだ。恐ろしい。家にはそれぞれが持っている大量の本と資料とCDやら絵画数枚やらがあり、それをどこで手に入れたのかも分からない。まともな書店は愚か今現在はコンビニ以外で紙の本が売っていない土地だからだ。こう書くと大層裕福な家なのかと思われがちだが、人文に異様に関心のある家というだけである。母は貧乏な家で育ったし、父はやや裕福だったのかもしれないが、田舎のそれの範囲である。



母は今もホロコーストを観に行きたいと言っている。両親は50も半ばが近くなり、健康で暮らせる残りの年月を数えた方が早くなっている。意味もなく焦ってしまう部分もある。自分の知識や、連れていくためのお金の工面(これは父が出すと言っているが)など。

それとは全く関係なしに、海の向こうでは生まれる前の子供も死んでいるのかと思うと、想像力の限界を認めるより他ない。どうか1日でも早く安全な生活が訪れるといいと思う。

 

戦争という大きなものを考えてもやはり最後は家族が明日も健康で生きていることに意識が向いてしまうのだ。どこまでも個人的な願いのもと生きている。

 

※この日記を書き終えた後、先述のハティニ虐殺の年数を計算したところ、81年前だった。たった81年前。もしかしたら祖父は生まれていたのかもしれないと想像するとゾッとしてしまった。しかしそれと同じ様なことが昨日も一昨日も起っていることもまた紛れもない事実である。

 

 

明日は書かれない暮らしがやってくるのだ。

2日連続で日記です。

明日は書かないかもしれないが、書かれない暮らしも平等に愛していきたい。

今日はモーニングギリギリにコメダに駆け込んだ。ここ数日は実験的にスマホを持たず外に出ている。特にきっかけなどはなかったけれど、なんとなく自分の行動が制限されている気がして煩わしくなった。この板の中に結構な数の人間関係が内蔵されているのよのと思うと眩暈を催すほどだ。それは大袈裟な例えだけれども私は人間関係にやや疲れていたので、こう言った試みもセルフケアには需要だろうと言った感じ。

 

11時を過ぎていたので普通にアイスコーヒーを頼もうとしたら、「モーニングまだ行けますよー」と言われ、朝ご飯を食べていなかったので、「そうですか」とそれにしてもらった。POSレジを使っているようだけれど、時間で管理されているわけではないのだなと気になった。POSレジとはPOSシステムと呼ばれる基幹システムによってある程度管理されているレジのことでいわゆるチェーン展開をしている店舗にはほとんど必ずと言っていいほど導入されているレジ。(POSとは販売情報管理、Point Of Saleの頭文字をとったもの)キャンペーンやタイムセールなどでイレギュラーな金額になっていてもほぼ自動的に金額変更が一括管理されていたり、顧客情報と紐づいているのでポイントなどをすぐに呼び出すことができるなど。在庫管理に使われることもある。

 

ふーんと思いながら本を2冊読み、タバコを吸う。自分の席で吸えない場合でも喫煙可能店舗というものが一定数あり、コメダ珈琲も導入店舗がいくつかあるそう。そこでは、喫煙室という大小様々な箱が店内にぼこんと設置されており、紙巻きが使えたり、使えなかったりする。昨今のというのも野暮な禁煙ムードに辟易する喫煙者も多いが私は、すでに禁煙ムードの中それでも吸い始めた人間なので、駅のホームやあろうことかバスの座席でも吸えていたなんて昭和の話を聞くと気を失いそうになる。喫煙者だが流石にそれは嫌だからだ。共有されない「あの頃」の話だってあるのかという面白さよ。あと私は喫煙所に入ると突然全員何か悪いことを一緒にやっている共犯者のような謎の連帯感というかもはや一種のグルーヴみたいなものを見るのが面白くて喫煙所に行く部分もある。喫煙所でしかできない会話がありそうと思いがちだが、そこでしかできない会話など最初からしない方が良いのでは?と訝しんだり、大体は与太話なのでそういうことを喫茶店に行くような関係性の相手とできるのはやっぱり素敵なことだなと思ったりもする。飲み屋の席にも、喫茶店にも、バス停にもそれぞれにふさわしい会話があるのだろう。

 

僕のマリ氏の『常識のない喫茶店』の後半と川上未映子氏の『人生が用意するもの』の後半を読み、モーニングで居座るのに許されそうな時間で切り上げ(主観すぎる)た。
外に出ると意思を持って人を倒そうとしているだろうと思うくらいの暑さで死ぬかと思った。本当に身体がおかしくなる様を黙って感じる。いつか陽が出ていない時間しか外に出られないみたいなことが起こるかもしれないと、朦朧とした頭で雑なSFを作ったりもした。そうなると明け方に対する概念とかも変わるんだろうな。今は夜明けというものがポジティブな性質を持つものになっているが、仮に日中でたらダメになったら、そうもいかないだろう。意識としての言葉と道具としての言葉という絶対的な事実のアンビバレントさよ。暑さで脳のスケールがおかしくなっている。まだ6月なんだけど!